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仏教の人間観
仏教には現代の人にとっては信じがたい話が出てきます。例えば、お釈迦様は生まれてすぐに七歩歩かれて、「天上天下唯我独尊」と言われたとか。にわかには信じがたいのですが、この七歩にも意味があって、迷いの六つの世界を越えていかれる方だからこそ、七歩歩かれた事に意味があるのだと、学んだことがあります。
迷いの六つの世界を「六道」といい、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つになります。そして、この中の人間の世界に生まれたのが私たちで、この人間の世界では仏法を聞くことができるので、仏様になることができるといわれます。
私は地獄におちた記憶も、天上界に生まれた思いもありませんが、この世で非常に落ち込んだことと、めちゃくちゃうれしくて、舞い上がった経験はあります。その経験を考えますと、確かに、身が引きちぎられそうな「地獄」の苦しみの時は、苦しすぎて仏法が耳に入ってきません。
逆に、この世の春が訪れたかのような、「天」にものぼる時も、仏法を聞こうとは思いません。飢え、渇いている餓鬼の時も、こんちくしょうと叫んでいるような時も、阿修羅のような顔で戦っている時も、仏教って聞く気にならないように思います。
そういう意味では、人間の時って仏法を聞くベストの時ですし、人間の時しか仏教は聞けないのかもしれません。
人間に生まれる大切さを、そのように問いかける仏教があります。
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